受精卵無断移植事件

<夫に無断で受精卵移植 別居前に保存、女児出産 奈良の医院>
http://mainichi.jp/articles/20170104/ddm/041/040/137000c
<受精卵無断移植 元夫が2000万円の損賠提訴>
http://mainichi.jp/articles/20170105/k00/00m/040/071000c


 年始に見たニュースの中では最も興味深かった。今後は法学部のテキスト素材になるような事件ではなかろうか。
 主体を元夫とする係争上の争点は、(1)無断受精卵使用により生まれた長女と親子関係が存在しないことの認定、(2)この問題の加害者と言える妻とクリニック側の元夫に対する精神的苦痛の賠償の2点である。
 ふつう意図せぬ妊娠というものは女性側にしか起こらないが、それが男性側に起きたというのが最大の驚きだ。この一件は精子泥棒の犯罪とも、架空の強姦とも考えられるが、単に子どもを作られた以上に、知らないところで遺伝情報を運用されて自分のコピー(的な存在)を作られたという点で非常にSF的である。
 精神的苦痛に関する賠償については特に問題はなかろうが、争点になっているのは「親子関係の認定」である。元夫は当然これを否定するわけだが(否定しないという選択もありうるが)、元妻は「親子関係を否定する法律はない」ため元夫の意向を受け容れないという。こういう対立についてちょうど読んでいたドゥウォーキンの『法の帝国』に参考例が書いてあった。一つは「文理解釈理論」で、これに従うと親子関係を否定する法律がないため長女は元夫の娘ということになる。彼らは長女は2015年に生まれ、夫妻は2016年に離婚しているので、建付けだけ見れば(性関係だけが欠如しているが)当然のごとく実子となる。一方の理論は「立法者の『意図』と正義原理」とでもまとめられるもので、少なくとも民法体外受精による意図せぬ嫡出子を想定していないと言えばそうだろうし、もっとも控えめにいっても詐欺手法という犯罪的行為によって行われた妊娠によって、いかなるものも現状を不利益的に変更されるべきではないと考えるのが法の趣旨だろう(そのことによって得られるものが仮にあるのだとしても)。ではドゥウォーキンだったらどちらにつくのだろうか。推測であるが、親子関係を認めない側につくのではないか。例えば現代日本では交通法規を正しく守っているのに相手の過失で交通事故に遭うことがある。このようなリスクを避けるためには外出しないことだが、外出したからといって道徳的に批判されるべき筋合いはない。一方で婚姻関係のない相手と性交渉を行った場合、とりわけ避妊なしでの性行為があった場合、妊娠の可能性を受け容れたものと認識するのが自然だろう。男側の都合よい見解からからすれば性交することと子どもを欲することが必ずイコールであるとは言い難いだろうが、たとえば献血で血を提供するかのように、精子という自分の身体の一部を自由に運用する権利を行使している点では能動的である。別方向から言えば、行為と意図が乖離している可能性が常にあるにしても、その結果として子どもが生まれてきてしまうことを前提にすれば、その子どもの権利を保護するという観点から、先述の行為と意図の間に必然的連絡を見出さなければならなくなるわけである。なるほどこの点において子どもは何も自分の都合で生まれてくるわけではなく、父母に相当する関係者の都合で生まれてくるのである。ただし、それは能動的な自己決定と解することができるような自由な運用が認められた場合であって、第一子のための不妊治療を性交するために提供した精子・受精卵を、自分が認めない第二子のために転用されるという状況に当てはまるとは到底思えない。そして他ならぬ元夫がそれを認めたくないと言っているのであればそれが認められるべきと法が強制すべきとはまして思えない。
 では子どもの権利や責任は誰が負わねばならないのだろうか。残念かつ当然だが、この元妻ということになる。それは元夫が長女との関係を認めないことを含む。もしもそれを認めるならば、この元夫は長女に対する扶養の義務を負わねばならなくなるからだ。もちろん逆説的にこの長女が将来元夫を助けてくれる可能性もあるわけだが、元夫がすでに訴訟を行っている以上、得られる利益と両天秤にかけて考えるべきではない。逆に言えば、元夫には選択の余地があり、選択の結果として現状があるのであって、この方針を法が捻じ曲げるのは重大な人権侵害に思える。そして、残される長女もまたただひたすらに不憫である。もちろん、女性が子どもを求める気持ちの衝迫は、男性が及びつくばかりのものではない。だからこそ中絶・堕胎が(男が考える以上に)大きな悲しみを残すわけだが、それは受胎してからの話である。まだ受胎していないものに呼ばれるかのように、かような非合法的行為に走ってしまう元妻のなりふり構わぬ動きを社会が制御できなかったのは、このような可能性を現実のものとして想定していなかったからであって、民法だけではなく社会もまたこの可能性に気づかねばならない。そうすれば抑止されていたかもしれないし、あるいは幸せな出産を迎えられていたかもしれない。せめてこの元夫が、長女との親子関係は否認しつつも、長女の存在自体を否認せずにいてくれればと思う。



 不妊治療を手がける婦人科クリニック(奈良市)の男性院長が2014年、別居中の夫婦の凍結保存された受精卵を夫に無断で妻に移植していたことが分かった。この体外受精で妻は妊娠し長女を出産。院長側は毎日新聞の取材に「軽率だった」と無断移植を認めた。日本産科婦人科学会(日産婦)は倫理規定で移植ごとに夫婦の同意を得るよう求めており、この規定に抵触する恐れがある。

 生殖補助医療の専門家によると、受精卵の無断移植が表面化するのは初めて。夫婦関係にあったのは奈良県内の外国籍の男性(45)と日本人女性(45)。男性は昨年10月に女性と離婚し長女と親子関係がないことの確認を求め奈良家裁に提訴した。

 男性の代理人弁護士や訴状によると2人は04年に結婚。約7年前に不妊治療を始め、体外受精で複数の受精卵を凍結保存した。女性は受精卵を移植し11年に長男を出産したが、2人は13年秋から関係が悪化して別居。女性は14年春以降、凍結保存された残りの受精卵を数回にわたって移植し、15年4月に長女が誕生した。クリニックは2人が治療を始めた10年に移植の同意確認の書面を作ったが、以降はこの手続きを省いていた。

 男性は取材に「血縁はあっても娘と受け止める自信がない」と明かす。14年秋に女性の妊娠を知って問い詰めると、「年齢の問題もあるし、2人目をあきらめられなかった」と打ち明けられたという。移植を実施したクリニックの院長の代理人弁護士は「男性の同意を得ていると思って施術したが、慎重に確認すべきだった」としている。