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『四月は君の嘘』感想

[一筆書き]
・最終話はよかった
・振り返ると1話もよかった
・誇張された演技は気に食わない
・音楽の出来不出来も謎が残る
エヴァのパロディになっているのが面白い

[展開]
積んでいた『四月は君の嘘』を視聴しました。最初はあまり作品に没入できませんでしたが、全部通してみると面白かったです。特によかったのは最終話ですね。最終話がよいと明言できる作品がどれだけあるか分からない中で、この事実はそれだけで尊いです。なぜ最終話がよかったか。それは宮園かをりが召喚されてくる演出がゴーストっぽかったからです。というのは半分冗談ですが半分は本気。有馬がピアノを奏でているときに、独奏のはずのところに(かをりが弾く)バイオリンの音色が入り込んできます。この感じが最高に感動的でした。この作品で音楽を聞いている中で、演奏中の有意味な変化を感じたのはこのシーンだけでしたが、それだけのものはありました。これはワンカップPが作った「初音ミクが来ない?来た?」という曲と演出が似ている節があって、やはり感動的でした。その後の椿の有馬に対する態度などにも非常に切実で肯定的なものを感じました。一般的にダブルヒロインの当て馬役と思われがちな椿の役どころはなかなか肯定が難しいものがありますが、ここでは帳尻があった気がしました。

この結末から振り返ってみると1話もよかったです。1話以外もいいんですが象徴的な意味を込めて1話に言及します。1話は僕は入りこむことができなかった印象が強かったのですが、改めてみると様々な要素が凝縮されていてなかなかのものでした(ゆえに読解ハードルが上がっている気も)。とはいえ別に読解する必要が必ずしもあるわけでもなく、桜や公園、学校、音楽室などといった風景の美しさに目を見張るべきものがあり、多くの視聴者もこれを評価していたような感じがします。

1話に言及するととても都合がよいのは、この作品の構造を示すことができるところです。『君嘘』は別に魔法が登場する話ではないのですが、一種のメタ構造を持っている節があります。どういうことかというと、有馬を主人公、椿をメインヒロインとする美少女ゲームないしそのルートに対して、かをりが侵略をしかけてきている話になっているということです。つまり本来は存在しなくてよい夢のような嘘のような話だったということであり、その権利上の帰結として、かをりは最終的に死に、舞台から降りていきます。これこそが『四月は君の嘘』ということです。もちろんこの嘘はかをりは本当は有馬のことが好きなのに別の友だちである渡のことを好きだと言ったことだ、とされていますし、それが狭義の解答なのですが、その嘘によって展開した物語全体がフィクションだというような認識を持つことが大切です。これはかをりの人権や尊厳を傷つける目的の発言では一切ありませんが、いわばかをりとは狐憑きの狐のような、胡蝶の夢依代のようなキャラクターであって、『Kanon』でいえば沢渡真琴のようなものです。だからこそ最終話で彼女の姿がバイオリンの音色とともに召喚されてくることが美しく尊いわけなのですが、そういう嘘のような感じが1話のかをりと黒猫の戯れにはっきりと現れています。黒猫は象徴的な存在として作品の暗示的な役割を果たし、たとえば途中で車に引かれて死に、助け残った有馬にトラウマを残したり、最終話では線路を隔てた踏切の奥にいる存在として現れ、『AIR』のEDにおける少年少女がそうであったように、物語が分離したことを示す役割を果たしたりしました。もちろんここでいう夢とか嘘とかフィクションというのは比喩なのですが、そもそも物語に他ならない虚構の作品における比喩とは、それ自体が魔法のような力を発揮する重力だということは注意しておいてもよいでしょう。ちなみに上述の黒猫のような教科書的ではあるが非常に強い力を発揮する比喩の技法にこだわりがあるらしき作家が三田誠広で、彼の小説講義などではそのレクチャーがよく出ます。そしてこの『君嘘』自体が三田の『いちご同盟』に強い影響を受けていることを思い出すと、比喩自体が特別な役割を持っていることに傾注するのは不自然なことだとは思えません。ともあれ、そういう考えから1話に立ち戻ると、実に美しく描かれるかをりの姿それ自体に感傷的にならざるを得ないでしょう。

余談ですが、しかし、この作品の誇張的な演出は僕にはなかなかきついものがありました。かをりや椿の思い込みが激しい演技が典型ですが、ほかにもギャグシーンに移る際のピーキーな断絶も気になりました。特に僕は1話時点では、音楽室にホームランを飛ばして窓ガラスを割っておきながら居丈高に振る舞う椿の日本語が通用しない感じがたいへんにうざったかったことを覚えています。この不自然さは主題歌のGoose house『光るなら』にも感じられたもので、この曲は途中までメンバーが全員でソロを繋いでいくのが、サビになると急に8〜9人でほぼ主旋律を合唱しだすのでとても当たりが強くなっていて、一楽曲としてはそれはそれでよいのですが、4人のメンバーを中心に展開する『君嘘』の背景を前提にするととてもちぐはぐな感じがしました。もちろん違和感の中心は有馬に恋心を抱いている二名によるものなので、それもまた織り込み済みにしてしまってもいい気もしますが、とにかく視聴体験的にはこれに対する不満が収まることはありませんでした。

それから音楽評論家や審査員たちが訳知り顔で音楽を論評しているのがあまり納得できなかったところも微妙な気持ちになりました。有馬によくありがちなのは、前半は演奏がダメダメだけど後半はよくなるとか、またはその逆の展開です。この差異が全く分からなくて非常に困りました。僕が単に専門家ではないから分からないのだということであれば話は早いのですが、しかし本当にそうなのか、という不安は俄然拭えません。

あとは本当に余談ですが、この作品にはエヴァのパロディ的な側面があります。それはもう凄い凄いエヴァのパロディ的な側面があるのですが、それについて触れるには今は時間が足りないので、またこんどにしておきます。