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ピケティ『21世紀の資本』

読書メーターに投稿したが、大した長さの文章を投稿できなかったので仕方なくこっちに張る。あっちにはクイックサマリーしか書けないのだな。まあいいけど。それにしても久しぶりの投稿になる。下書きはいっぱいしているのだが。


分厚いが非常に読みやすく、すいすいと先に進むことができる(この点は『民主と愛国』に類似している。一方でネグリ=ハートの『帝国』と比較する向きもあるが、『帝国』は本当に読みにくい。)。ネックは分厚さと重量であり、それさえ問題にしないのであれば、副読本ではなく本編に取り組んだ方があらゆる意味でよい。

主張はあまりにもシンプルだが、大した労でもないのでここにまとめておこう。資本主義社会ではr(return)がg(growth)をなぜか――そして必然的に――上回ってしまうので、どんどん格差が広がってしまう。労働よりも投機・投資の方が儲かり率が大きいため差が広がってしまう、ということを実証的に示したのが本書である。このため働くよりも「相続」の方が重要になってしまうという逆説があった。トップ労働者でも富豪の相続人より儲からないのである。弁護士や医者になるよりも金持ちの子女と結婚した方がいい、というわけだ。

そういうことではよくないのではないか――これがピケティの言いたいことではあるのだが「そのためにどうしたらいいのか」とか、あと「なぜこんな感じで格差は広がっちゃうのか」については根本的な理由とか実現的な提案がほとんどないのが本書の隔靴掻痒なところである。これは、書けないことや分からないことについては「吹かない」という経済学者の倫理を感じるところだが、それっぽい小見出しがついているのにそれを避けて行くところには、繰り返しになるが肩透かしを感じるのも事実だ。

グローバル資本税の提案はその意味で両義的である。資本は増えていくしかないので、累進課税で規制するしかない。しかし、一国で規制すると単にタックスヘイブンに逃げられるだけだから、全世界で規制するしかない。この提案を捕まえて「非現実的だ」と述べる人は後を絶たないが、そんなことピケティも分かっていることだろう。鬼の首を取ったように自明なことを指摘して悦に入ってはいけない。一方で、理想的に言ってグローバル資本税が、その実現の困難さとそれに伴う弊害の危険性を除けば、まさにソリューションであることも事実なのだから、書いておき得であることは確かである。

この本をどう自分の人生に活かすかについては個人的にも一家言あるのだが、まあ各氏がそれぞれに考えればよい。それはそうと、あまり言及されていない気もするので本書の分析上、重要そうなポイントについて一つ触れておこう。それは「経済成長率」の部分である。経済成長率はgrowthである。つまり資本収益率 return に対して、さっきの公式により常に「小なり」とされている概念ということになっており、市井のピケティの議論でも少なくとも井戸端会議的には軽視されておるように思われるのだが、しかしこの話の重要性はいくら強調しても足りないだろう。ピケティは累積成長の法則について触れている。

累積成長の法則とは、たとえ年1%程度の成長であろうとも、300年かければ大変な成長になるということだ。たとえば18世紀に6億人だった人口は、毎年1%増加して21世紀には70億人になった。実に10倍以上である。これは人口だけに限らず社会の豊かさにも同じく言えることであり、この時代の近代化の凄さについては説明の必要がないだろう。経済成長率というのは人口増加率やインフレ率とも関連しているので、上げ潮派の議論が成立するわけである。こう考えると「もう成長しなくていい」派の議論をしている人々がいかに愚かであるかが思い知らされるであろう。そういう人たちは今のことしか考えていないのである。

高度経済成長期の日本やアジアはだいたい3%のくらいの勢いで成長していた。年1%でも結構凄いとなると、3%で50年走るとやはり分かりやすく成長する。この辺の成長率は複利計算を各自されたし。ではどうやってこのような高い経済成長率を維持すればよいかというと、人口を増やすしかない。人口を増やす以外にはイノベーションに触れる部分は極めて少ないのである。日本だけを例にとって見れば、いっけん自明に思われるが、経済成長率は発展途上国の方が上がりやすいのである。『弱虫ペダル』の主人公・小野田坂道もそうであるが、前を走るトップの速度が速い方が、自分の速度も上がるといった具合だ。ということは、自分がトップに立つと必然的に成長率が下がってしまうことを意味する。日本がマイナス成長もかくやという世界に陥っているのはこれが原因であり、実はこのことは先進国には例外がないようだ。アジアの一部が成長中であるが、いまや来世紀を見越して高度成長をしていると言える国は南アフリカくらいのものであり(5%!)、それはもっぱら人口増に牽引されてのものである。


先進国との付き合いをどうしていくかということが国策としては当然重要になっていくわけだが、一方で、人口が増えなくなった国家がどうなっていくかも知られてくるのがこの議論である。成長が時間差で現れてきたのと動揺に、破綻もまた真綿で首を占めるような形で現れるだろう。成長が300年の成果として現れるなら、恐らくは破綻もこの100年には起こるまい。……が、次の100年には分からないことであり、この議論をすることはほとんど全て未来に対する責任としてなされている。そういうわけで、本書が「21世紀」という時節を冠しているのだろうと思ったのだった。

本書を読んで僕が思うのは、本書がこれだけ読まれていないのを鑑みるに、結局は片隅の啓蒙に留まるしかないとはいえ、この資本主義の性質を踏まえた上で自分の人生をマネジメントすることは重要であろうということだ。どういうことか。

資本収益率が高いからといっていきなり投資家稼業に邁進しようとするのは愚かなことだ。それは与沢翼を旗印としたネットワークビジネスバブルに踊らされた人々と何も変わらない。そもそも元手がなければレバレッジが低いので、投資をするには意思を持って貯蓄をする必要があるわけだが、そういった観念がない人ほど「楽して儲かる」話に翻弄されやすいことだろう。また、先日のスイスフラン暴騰事件はもう忘れ去られつつあるのかもしれないが、あの件のように、ちょっとした小遣い稼ぎのつもりで行っていた投資で、かたや突然一億もの利益をあげ、かたや突然一億もの負債を背負うようなまさに「天国と地獄」が展開されていた。自分の身銭以上の利益を期待するものは、自分の弁済が不可能な損害を被る覚悟も背負わねばならないという分かりやすい実例である。相場を張るということはどこまでいってもギャンブルであり、ピケティがギャンブルを薦めているというように本書を読むことは、ちょっとおかしなことではないだろうか。

まあもちろんそんな感じでリスクを取ってもいいのだが、自らに「投資」を行って、自分で価値やものを生み出せるようになった上で、余った資産を銀行預金"以外"の手法で管理していく些細なモチベーションとしてr>gの法則を頭においておく程度で僕はよいように思われる。本書みたいにクソのように高い本を買える層は、そもそも貧困ではないとも言えるわけだが、かといってスーパー富裕層でもないであろう。ビジネス自己啓発的な帰結をピケティから引き出すのは勝手だが、あまりそれをここでやりすぎるのはピケティに申し訳ないのでここではやめておこう。

ところで最近APPLEのCEOであるティム・クックが全財産の寄付を公言した。これはピケティ的な事態であると言えよう。政治家はいつまで経っても金に縛られるが、資本家はある段階で金から解放される。持っていてもしょうがない段階というものがあるのだ。自発的な寄付は素晴らしい……が、受け取る方は果たしてどういう心持ちでいればいいのだろうか。資本主義社会で現状追認に陥らずにノブリス・オブリージュについて考えることは難しい。



DC: 仕事上の関係もあり半年間かけて読書した。このたび読書メーターで読書を管理しようと思ったので記念としてこれを最初に登録したいと思う。実際この日を読み終わりとするのが個人的には都合よい。