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集中の規則――やはり何もない机はよい

 全然読めていないがミハイ・チクセントミハイの本をがーっと注文し、いわゆる「ゾーン」というものについての学びを深めようと思っていた。ゾーンとはやる気が充実した状態のことだ。これがどういう状態なのかを定性的に捉えることも大切だが、どのようにして人がゾーンに入るのかこそが重要である。

 集中には規則がある。とはいえ僕はあまりその規則をつかんでいない。前に述べていた「気学」の話もその集中の規則をつかむための模索だと思ってもらってよい。前回、マックを褒め称えるようなエントリを書いたが、最低限の荷物しか置くことができず、妙に簡素なだが小奇麗なテーブルと椅子は、むしろ適度なミニマルさで我々の集中を誘引してくれる(客がひしめいていなければ)。なにもない机は非常によい。片付けることが容易な机もそれに準ずるほどよい(だからフリーアドレスには利がある)。

 場所だけでなく重要なのは時間帯だろう。ビジネスで使われる脳科学知見的にもよく言われていたのは、午前は交感神経優位、午後は副交感神経優位ということだが、そういうことを言わずとも、朝と夜では能率が上がるランドスケープは変わってくるはずだ。たとえば一般にいって朝は何をするにも優遇されている。クリエイティブな仕事(アウトプット)は朝がいいとも言われる一方で、一人になれる点で朝は読書やインプットにもよいとされている。煩雑な事務処理も朝の方がスタスタと片付くとされており、これは僕の実感にも則している。とにかく朝は全ての能率が上がると言ってよい。他方で夜は夜で……という気持ちもあるのだが、概ね朝が優れているというのが僕の実感である。

 とはいえ、こういう朝方優位の発想を書き連ねることが趣旨ではない。ものごとには適時適材適所というものがあるということだ。たとえば集中の持続する時間は人によって異なるが概ね50分とされており、その後は5〜10分の休憩なり気分転換を入れた方がいいと言われている(気分「転換」は極めて重要な概念だ)。これはいわゆる義務教育の学校制度が50分刻みで授業をやっているから、身体がそれに馴致されてしまった結果ではないかとも言えるし、人間の集中を前提に学校制度が50分という刻みをやっているのだとも言える。大学や予備校は90分単位だった気もするが、まとまった内容を語るためには90分くらい使う必要があるのだ、という態度を取っている点ではこれらの施設はコンテンツ優位である。閑話休題

 気学を日々の参考にすることはやめたが、あれはあれで概念的にはインスピレーションを与えるところがある。というのもこの概念系は、方位の吉凶を時間の吉凶に変換する仕組みだからだ。たとえば暗剣殺という方位があって、この方位は生まれの星によってそれぞれ異なるのだが、そもそもこの年に共通する凶方位(本命殺)があり、かつそれぞれの星ごとに暗剣殺があるようなのだ(不十分な理解はご寛恕を)。このような凶方位の一つに歳破というものがあり、これまた通年で悪い方角なのだが、実は月単位版の月破、一日単位の日破、時間単位の時破というものがあるようだ。この月・この日・この時間は不運ということになる。これはすさまじいことである。平安時代に貴族がよく物忌をして、不運な方角から逃れるために移動をしていたが、気学もその伝統を引き継ぐものであった。 

 このような見解については、今度またじっくり取り上げようと思うのだが、矢野和男『データの見えざる手』との兼ね合いで科学的な方針を持って位置づけることができるようになったのではないかと思われる。実はミハイの本を読もうと思ったのもこちらで引用されていたからである。それまでは名前は知っていたが自分から読もうとまでは思わなかった。『データの見えざる手』が示すのは、実は人間が特定の行動に分配できるリソースには限りがあるということだ。

 このリソースを「帯域」と呼称するのだが、分かりやすく述べれば、帯域A、帯域B、帯域C……帯域Nくらいまでのものがあって、実は人間のあらゆる行動はこれらの帯域集合の中に位置づけられる(可能な行動の集合だから当然なのだが)。ここまでは普通のことなのだが、例えば帯域Aに「文章を書く」という行動が入っていることにしたら、この行動に割ける時間は2時間なら2時間と決まっているということだ。実際には時間で区切るのは不正確なのだが便宜上の表現である。これらの帯域が時間帯と関連しているかどうかまでは明らかでないのだが、人間の習慣とバイオリズムを考えれば、どの帯域の行動をどの時間帯にとりがちか(また企業慣習上どうなりがちか)ということは出てくるはずであり、こういったものに意図的に介入する技術としては気学的な発想にも一定見るべきところがありそうだ。

 なにもない机に向かうことがよい、というのは誰でも理解可能で実践可能なお題目なのでタイトルに掲げたが、より重要なのはもう少し細かな操作が可能だという事実である。それは悪習慣に介入し、よい行動を習慣化することによって恒常化することが望まれるものだが、その概念系は誰しもが持っているものではない。僕が仮説的に持っているものは、比喩的に言って脳はリセット可能ではないか、ということだ。ではそのリセットはどう行うか。これは50分特定の行動を取った後に入れるべき「5分の休憩」に相当するものだが、学校を思い出せば分かるように、その組み合わせを一日続けるとさすがに辟易してしまうというのが現実だろう。休憩は有効だが同じ体裁で繰り返すのはおそらく本質的ではないである。脳に新しい刺激を与えるためには、概念的に言って「方位」を変える必要があるのである。ここで言う方位とは方角、場所だけのことではなく、使っている道具や、開いているブラウザの種類など多岐に渡る。これを年単位で考えれば、勤めている企業や住所・住居なども範疇に入ってくるのである。