SHIROBAKO #10 本田のケーキ

 SHIROBAKO #10を見た。どういうアニメか知らない人のために念のため説明すると、アニメ制作現場の修羅場を描いている作品だ。タローという若い厚顔系制作進行のウザさに毎回ほっこりさせられながら見ているが、今回も非常によかった。というのも本田がやめるからである。

 本田は恰幅のいい制作デスクで、この人がいなくなったらこのプロダクションでのアニメ制作は不可能だろう。そんな人だが、ブタ箱に(自主含む)缶詰したおかげで監督が最終話の絵コンテを上げたときに、これで安心してやめられるということを仄めかす。なんとケーキ屋になるという。完全なる転職だ。

 この話には伏線があって、その少し前に寡黙な落合という制作進行が退職していた。といってこの人物は別な人気制作会社に引きぬかれていったので、ケーキ屋に転職するのとはわけが違う。あと、美人制作進行の矢野が本田辞職の弁を聞いて、自分も辞めたがっているのを仄めかしているのも気になるところだ。彼女が同業転職か別業転職かは興味深い。

 こういう話はリアルである。僕の後輩は制作進行になったようだがあっという間にやめたようだ。それとは別に最近なったやつもいるし、どうもこれからなるやつもいるらしい。そんな人々にとってSHIROBAKOを見る経験は現実を突きつけられるようでつらいらしいのだが、退職ラッシュが続くといよいよさらにお先真っ暗感が出てくるだろう。強く生きて欲しい。最近、僕の行きつけの美容院の美容師が三十路をきっかけに十年務めた店を退職し美容師も廃業してしまった。彼女はどうやって生きていくのだろうか。追跡調査によると、何でも6つくらい年の離れた彼氏がいるらしい。だからといって転職先を決めずに退職するのは勢いづき過ぎだろう。彼女の心中は察して余りある。

 今回の話数では「長く働けよ」という話と「やりたいことをやれ」という話がいっけん対立している。特に新卒系の主要人物たちがキャリアに悩む姿が描かれるのだが、本田は彼女たちとは境遇が違う。彼はデスクだし、たぶん結構やってるはずだ。結構やってるはずということは、全く異なった業種に飛び込むことのサンクコストが高いことを意味する。失うものが多い。しかし失うものが多くてこそ決断に意味が生じるという風に感じた。

 しばしば若者に向けて「やりたいことが決まっていると遠回りをしなくて済む」というアドバイスがされているのを見る。僕が言っているわけではない。こういう話は案に「やりたいことをきちんと設定しろ」と命じているように思うのだが、そんなもの持っている方が少数派だろう。人はたいがいやりたいことなんて何もないし、ましてや仕事や生業にできるほどの何を知っているものでもない。かといって、人生をかけてやれるほどの得意分野を持っていることも珍しいだろう。やりたいことを選びとるためには、しばらくやりたくなかったり興味がなかったりすることをやって何かを培う必要がある。

 そもそも自分とはかくあるべき、というような思い込みは、うまく回ればたいへんな活力になるが、空転するとたいへんな機会損失になる。新しい出会いやチャンス、変化や成長のきっかけを失うからだ。自分はどうにでも変わっていけるという気構えでいたほうがよいように思える。やる気もなければやりたいこともない相対的な弱者たちは、実は様々な可能性に開かれているはずである。とはいえ引きこもっていてはダメだから、何らかの意味で外へ出よ。

 そんな感じで身につまされる10話であった。